実際のところ、俺が比較的に短期間でアクセスを増やすことができたのは「俺から見て世界はこう見える」に特化していたこと、そしてその俺の「立ち位置」というものが「コンビニの店長」に限定されていたから。そんで、それが珍しかったから。ここに尽きると思ってます。
つまり、なんていうんだろ。「おまえはなにものか?」と問われたときに「俺はこういうものである」という立場を、たとえかりそめにでも設定しておくこと。そしてそれが借り物ではない「自分だけのもの」であればなお望ましい、ということです。
リアルでも会ったことのあるとあるついったらーの人がいる。俺はその人のポストがえらい好きなのだが、とにかく、細かいところをよく見ている。電車のなかで、街中で、たぶんだれも見ていないような「片隅で」起きた「小さな事件」をその人は的確に拾ってきて、それをポストする。それだけで、そこにひとつの物語がある「かのように」見える。
大多数の人はそうしたことをしない。まあ、ポストしないまでも人は意外にいろいろなことに気づいているのかもしれないんだけど、それでもやはり、多くの人は「見ていない」のではないか。乗り込んだ電車のなかにどんな人がいて、なにをしているのか。それは周囲を少し見回せば簡単に把握できることだけれど、わざわざそんなことをしようとする人はいない。疲れるしなー。たとえ見ていたにしても、とりたてて自分に関係がなければ、それを「意味のある」情報とはみなそうとしない。それをよくないことだとしているのではない。「そうせざるを得ない人々」というのが、たぶんこの世にはいる、ということだ。たぶんそうした人たちは、退屈を知らず、同時に、安心というものもあまり縁がない。